猫とシュークリーム

タイトルは筋肉少女帯の「カーネーション・リインカーネーション」から。

10代のフジファブリック、20代の筋肉少女帯

「10代で口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ。」というコピーがある。

かろうじて20代を生きている現在、「うんうん、そうだよな」と分かったような口をきくにはまだ早いかもしれない。けれど、例えば思いのほか長生きをして還暦を過ぎたとする。そんな寒い冬の夕方に、ふいに口ずさむのはフジファブリックの『銀河』だと思う。

中高生の頃は2つ上の姉の影響を受けて、彼女が持っていたCDをよく聴いていた。
BUMP OF CHICKENだったりTHE YELLOW MONKEYだったり、はたまたBLANKEY JET CITYなど、姉の恋人や友人が聞く音楽を姉経由で聴くという一連の流れで。

一方、自分自身で選んで聴いていたのは中学の友人の影響で聞き始めた椎名林檎東京事変を筆頭に、GOING STEADYモンゴル800、飛んでレッチリSUM41SIMPLE PLANなど「あ〜…」と遠い目になるラインナップ。他には何があっただろう?商業施設の最上階にあるタワーレコードに通い新譜をチェックし、よせばいいのに洋楽をジャケ買いして失敗したりするなど今思えば微笑ましいことをしていたものだ。

高校まではCDプレーヤーを使っていたのが、大学に入りMDになりやがてipodへと機器が変化していく。それと同時に、音楽に対する自我のようなものが生まれてきたのもこの時期だ。
誰かの影響を受けてものを知るというのはごく当たり前のことなのに、なぜか「自分で見つけたアーティストの音楽を聴きたい」という謎のわがままを発症。と同時にメジャーではない音楽が聴きたいを思い始めるようになる。どこに向けてのアピールだったのだろう。

大学に入ったその年の秋に知ったのがフジファブリックだった。彼らを知ったのも、結局は人のレコメンドからだったのだが、『銀河』のパッケージを開けてコンポから流れ出した独特のイントロにまず「んん?」と声が出たことを今でも覚えている。困惑の「んん?」がやがて「ン〜〜!」へ変わるのに、さほど時間はかからなかった。
それからはフジファブリックの世界にどっぷりと浸りつつも、資金不足のため地元のホールで行われたライブに行くことはできず、フロントマン志村君の生の声を聴く機会はなかった。(彼にかわり、山内君がボーカルをするようになったライブには3度足を運んだ。)

大学を卒業してからは就職に転職、半年のニート期、再就職。その間に訪れたいくつかの別れ。環境と出来事に翻弄されて、生き続けることの苦しさが胸を占めていた。音楽は自分の中の穴を埋めるためにせっせと聴いていたような気もする。そのせいで20代の自分に強く刺さった音楽はなかったといってもいい。

しかし半年前に出会ったバンドで少しずつ自分の車輪が動き始めた。
このブログのタイトルにも歌詞の一部を拝借している、〈筋肉少女帯〉だ。おそらく10代の頃に出合っていたら逆に遠ざけていたと思う。そんな気がする彼らの音楽に毎日生かされているから不思議だ。
筋肉少女帯は凍結を経て再生、そして今年10月にはアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』発売からツアーを開催。最高のタイミングで出会えたと思う。10月の赤坂blitz筋少のライブに参加できたことで、何か一つの区切りができたように感じる。それこそ、自分自身の凍結期間が終わったような。

筋少の歴史やバックグラウンドを知ってから、昔のアルバムを集めて聴くと聞こえ方がまったく違ってくるのが面白い。例えば、一ヶ月前に入手した『最後の聖戦』。
最後の曲『ペテン』にある「最後の別れと思っても 誰もがまた出会う」という一節。
全曲リピートで聴くと1曲目に戻っての『カーネーション・リインカーネーション』の「アナタと再び会うために何度でも 生まれ変わりたいと思う」。事実に無理やり結びつけるのはあまり好きではないが、その後の筋少を歌っているようで胸にくるものがある。
他者同士、あるいは恋人に向けて歌う内容であるが、聴き込むうちに一人の人間のことともとれることに気づいてから、特別な意味を持つようになった。

まもなく29歳になる。志村君の歳に追いつき、そして20代最後の一年を迎える。
ひとつの節目を迎える中、自分を生かすのはやっぱり音楽なのだ。
12月24日の前日、23日は恵比寿リキッドルーム筋肉少女帯のライブ。もちろんチケットは入手済み。

特別な2日になると思う。

 

※ブログのタイトルは『カーネーション・リインカーネーション』の歌詞より
「アナタとアタシを死が訣つなら 猫とシュークリームを詰め替えて ああ送りつけてやる」。猫とシュークリーム、で切るとかわいらしいイメージだが、事実は憤怒と悲壮な決意に満ちた激しい一曲である。
ちなみに私は猫は好きだがシュークリームは苦手。この対照的さがまた気に入っている。
筋少の曲では、猫はリュックサックに詰められたりカン袋に詰め込まれたり、この世のキレイごとを暴いたり、おなかを切られたらバラでいっぱいだったりと印象的なモチーフとしてたびたび登場。面白いよね。

 

名前をつけるということとその重さ

「名前」は一つの呪いであると思う。オカルトな話ではなく、ごく一般的な感覚と、現象についての考えだ。

ヒトでも猫でも橋でも川でも事象でも、名前を付けられたその時から「何者(何物)でもない」という自由を奪われる。名付けられた呼び名により存在を認識され、繰り返し呼ばれる名前は持ち主にずんずん降り積もる。その言葉の持つ見えない重さに縛られ続ける。名付けられた側も、名付けた者も。おそらく、その存在が消えたその後まで。

 古くは筆名(ペンネーム)を付けることによって、本来の名前とその名のもとに蓄積されたあれこれと一時的に距離を置くことに成功した。以前、ハリーポッターの作者が別名義で作品を世に送り出したところ、いわゆる「中の人」が誰であるかを明かされて…という話は興味深い。

最近知った事実に、“久石譲”がペンネーム(広義)であったというものがある。幼少期、彼の音楽以前にその名前の字面と響きに興味を持っていた。名前の持つ魅力によって、音楽がより価値を高めているとさえ感じていた。その名前が、造られたものであると知った時に少なからず驚きと少しの落胆を憶えたものだ。
そんなふうに、どうしたわけか名前について思いを巡らせることが多い。

 このブログを始めるにあたって、10年以上使っていたペンネームとは別の名前を名乗ることにした。

10年来の名前は、10年の間にあまりに重いものになった。とある人から拝借していたその名前は、数年前、本来の持ち主を喪った。彼はあまりに若くして姿を消した。名乗ること、名前を借りることがどんな意味を持つのか、10年前は知らなかった。

ここで綴る出来事や考えはノンフィクションに限定していくつもりだ。
創作の場で名乗っていた彼の名前は一旦休ませてあげることにしたい。
實川(さねかわ)というペンネームのうち一文字は、本名が由来している。また、私の友人が、とある機会に「実川」の名をくれたことも嬉しい偶然だった。

 聴いたことはないのだが、「名前をつけてやる」という曲がある。そのタイトルを目にした時に、かすかなおそろしさを感じたものだ。そう言いながら、この文章を書く傍では、「模様が鶉に似ているから」というだけで「うずら」と名付けられてしまったキジトラの飼い猫がこちらをじっと見つめている。

 

 

10イヤーズアフター

最後にブログを書いたのは約5年前だったように思う。

学生の頃に開設したサイトのネタ帳代わりに書き始めたブログは、開設から5年後のサイト閉鎖と同時に消してしまった。この間、mixiTwitterInstagramなどのSNSにつま先をチョイチョイと浸してみたものの、居心地はどれもいまひとつというのが正直なところだ。水が合わないというより、知人友人に見られていることを意識してしまい、読み返すと違和感もりだくさんの文章を書いてしまうことがストレスになっていた。自分が書いた50字に満たない呟きに数日後、殺されそうになることも珍しくない(そんな質なので当然facebookは敵)。ちなみにTwitterはかろうじて生存報告代わりに続けている。

 奇しくも10年ぶりにブログを新設する気になった理由は自分自身もよく解っていない。一ヶ月後にはブログの存在すら忘れているかもしれないし、5年後も細々と続けているかもしれない。

ふらっとやってきた野良猫が居着いて大往生するみたいに。
長く一緒にいた飼い猫が突然姿を消すみたいに。

万事はこんなふうに始まって、そんなふうに終わるんだろう。

 

ブログ「猫とシュークリーム」はじまります。